18世紀に画家として活躍しました。江蘇省、あるいは浙江省の出身とされており、号は惺石老人、白雲渡口漁郎、青篛古漁、円光道士などと称しています。
清時代の画家で、山水画を得意とした「張宗蒼」の甥にあたり、彼から手ほどきを受けたことで張洽も山水画をよく描きました。自身の画法について、繊細に描きこまれた絵は収まりをおおまかに。略して描かれたようなおおまかな描きこみの絵は収まりを細かく。また、硬い紙には柔らかい筆を用い、柔らかい紙には硬い筆を用いて作品を制作する。というこだわりがあったとも伝えられています。
その腕前から故郷だけでなく北京でも名は広がりましたが、晩年は南京の郊外で禅を信仰し、ちいさな仏堂に隠居しています。