18世紀に活躍した商人、あるいは画家です。安徽省の出身で、号は西園と称していました。絵は周西山から学んだと言われており、鳥獣画をはじめとして花卉画や山水画などを得意としています。江戸時代の中頃からは度々日本に渡っており、一度難破した際には現在の千葉県にあたる場所に漂着し、そこから長崎へ送られました。その間には富士山を見て感動し、『目睹して実に大観なり』との感想と共にその姿を写生したと言われています。
これ以外にも日本の随所の風景を描き、この時の作品群は図の中に駆使された遠近法が大きく注目され、江戸時代後期には当時活躍した画家・谷文晁によって模刻されました。
そのほか方西園は同時期に活躍した真村廬江や東東洋など、日本の画家たちにも自身の画法を教授しており、この画法はのちに前述した谷文晁や同じく江戸時代後期の画家・渡辺崋山の作品にも大きく影響をもたらしました。