19世紀に活躍した歴史家または官僚です。広東省の出身で号は芍農と称していました。20代半ばで科挙試験を通過して朝廷に仕え始め、翰林院や内閣学士などの要職のほか教育や外交を取り仕切った礼部にて侍郎とよばれる幹部を任されています。そのほか清仏戦争の際には湖南省の軍にてその作戦の助けともなり、各所でその才能を活かしていきました。
地理学や天文学に至るまで諸学に通じていましたが、中でも金石学は特に熱心に学んでおり、非常によく研究していたと言われています。
また、書においては隷書や篆書、また唐時代に活躍した儒家の欧陽詢などの書から学んだとされる楷書もよく書きました。中でも『蘇考慈墓誌』の模写は本物と見分けがつかないほど見事に模してあると称されています。