19世紀前半から20世紀後半にかけて書画家として活躍しました。江蘇省の出身で、号の林散之のほか左耳や三痴とも称しています。幼少の頃から書画を好み10代半ばからは絵を学び、19歳になる頃には私塾を始めたと言われています。また、同時期に書についても学び始めると、詩文と併せて独学で研究を深めました。
絵においては30歳の頃に近代山水画家である黄濱虹に師事しています。やがて山河の図画を極めるため、中国国内中の山河をまわって描いた約1000にも及ぶ絵や詩作品を集め、遊覧記を残しました。その後は汪蘇表国両院の絵師や安徴表人民代表大会の代表などを歴任し、書と絵の双方の分野で功績を残しています。
現在は南京市に林散之記念館が建てられ、多くの作品が所蔵されています。