17世紀中頃から18世紀初頭まで活躍した書家です。浙江省の出身で、号は声山と称していました。清時代初期に文学者・詩人として活躍した査慎行の一族で、38歳のときに科挙試験に及第しています。詩文や絵に優れていましたが、中でも特に名高かったのが書でした。
査昇は自身の才能に加え、明時代の書家・董其昌の影響をうけた作風と言われており、董其昌の書法を好んだ当時の皇帝・康熙帝がその作品を賞賛しています。これによって査昇の名が広まり、その作品を求めて門前が人で溢れていたという話も伝えられています。
17世紀中頃から18世紀初頭まで活躍した書家です。浙江省の出身で、号は声山と称していました。清時代初期に文学者・詩人として活躍した査慎行の一族で、38歳のときに科挙試験に及第しています。詩文や絵に優れていましたが、中でも特に名高かったのが書でした。
査昇は自身の才能に加え、明時代の書家・董其昌の影響をうけた作風と言われており、董其昌の書法を好んだ当時の皇帝・康熙帝がその作品を賞賛しています。これによって査昇の名が広まり、その作品を求めて門前が人で溢れていたという話も伝えられています。