19世紀前半から20世紀初頭にかけて活躍した書画家です。浙江省の出身で、号は南胡外士や茶禅と称していました。生涯仕官することなく、書や絵に打ち込んだと言われています。
楊佩夫の父であった楊韻も書画を大変好んだため、収集していた作品も多く、楊佩夫はそれらを引継ぎ自身の作品の研鑽に活かしていました。やがて1860年頃には太平天国の乱の影響を受け家族で上海に移りましたが、以降は上海で書画を制作しそれを売って生計を立てていきます。当初は作家としての名もなく生活は貧しかったようですが、徐々にその腕を認められ、後年には事前芸術団体の会長に任命されるなど上海画壇の重鎮として活躍しました。
書においては顔真卿や米芾の作品から学んだとされていますが、遺された作品は浙派の作風に近いものが多く、洗練された趣があると言われています。