18世紀中頃から19世紀にかけて考証学者として活躍しました。江蘇省の出身で、号は懋堂(ぼうどう)と称しています。20代半ばで科挙の受験資格を得ましたが、残念ながら本試験には受かることはありませんでした。しかし、貴州省や四川省で知事を歴任しながら反乱の鎮圧なども果たし、職務に尽力しています。
46歳で退職したのちは、29歳から研究していた音韻研究に打ち込みました。段玉裁の生きた清時代よりも前の時代に存在したとされた音韻やその変化について研究し、41歳のときには、自身の研究をまとめた著書『六書音均表』を発表しています。