19世紀に画家として活躍しました。浙江省の出身で、号は稼圃と称しています。生まれや没年ははっきりしていませんが、1804年に日本に来日しました。
幼少期から画家の張宗蒼などに絵を学び、日本に来日すると文人画家としてその画法を伝えています。その後も数回来日しており、木下逸雲や菅井梅関などが江稼圃に師事したほか、当時の文人であった大田南畝や田能村竹田とも親交を深めました。
作品には山水画が多く、中国よりも日本国内での方がその名が広がっていたと言われています。
日本に中国画を伝えた来舶四大家の1人にも数えられています。