20世紀に活躍した書家または篆刻家です。浙江省の出身で、号は石荒や沙邨、決明、蘭沙などと称しました。生家は漢方医を営んでおり、14歳の頃には近代の優れた文人として名の上がる呉昌碩の友人から、中国古典文学を学んでいます。やがて正式に呉昌碩に師事し、最後の弟子として言い伝えられました。
その後は自身の著書の発表などを経て、30代の頃から各大学で教授として後進の教育にあたっており、そのほか西泠印社の社長や中国美術学院の終身教授としても認められています。
国内だけでなく日本の書家や篆刻家とも親交を深めており、最晩年まで精力的に活動を続けました。