17世紀に活躍した書家です。山東省の出身で、号は黄山や黄石、小珠山人などと称していました。33歳の時に科挙試験に及第し、翰林院や秘書院に務め要職を歴任しましたが、母親が亡くなると辞職し、どのような招致にも応じなかったと言われています。
詩文においては早年には唐時代の詩人・李賀の作品から。晩年には同じく唐の詩人・杜甫の作品から学びました。また書画においては詩文の余事として行っていたようですが、山水画を得意とし多くの作品を残しています。
書には詩を行書で表したものがほとんどで、唐時代の顔真卿や清時代の王鐸などからの影響がみられます。穏やかで自然な筆致でありながら、重厚さもある個性的な筆致が特徴的です。