19世紀に活躍した官僚または学者です。江蘇省の出身で、号は鄭庵と称していました。22歳の時に科挙試験に合格しましたが、この時潘祖蔭は第3位の成績を残しています。仕官後も優れた才能を発揮し刑部や戸部など六部の各所に仕えると、やがて皇太子への教育や助力する役割の太子太保の地位に任命されました。自身の父・祖父が高官を務めていたこともあり、潘祖蔭は順調に昇進していき、その後高官たちの間でも実権を握り、主導的立場に上り詰めたと言われています。
官僚として活躍する中では、同時代の文人として生きた呉大澂や王懿栄などとの親交もあり、これによって潘祖蔭の金石書画をはじめとした所蔵は国内でも屈指のものとなりました。
書においては晋時代から伝わる帖学を基とした書派とみられ、院書体の影響もみられる整った書風が特徴です。