17世紀半ばから18世紀半ばにかけて活躍した学者または書家です。江蘇省の出身で、号は竹雲や良常、虚舟などと称していました。44歳のときに科挙試験を通過し、翰林院にて職務に従事し始めましたが、書に優れていたため特命で文字学の研究機関、五経篆文館の総裁官に任ぜられています。以降も要職を歴任しましたが60代手前の頃まで仕官し、退官した後は世間には一切関心を向けず、書の研究と揮毫に打ち込んでいました。
同時期に活躍した汪士鋐や何焯といった書家にも推され、そのため士大夫の家などをはじめとしてその作品を請う者が途絶えなかったといわれています。
書においては篆書や楷書、隷書、行書、草書など幅広い分野の書に優れ、そのほか書論家や古典研究家としてもその名を知られていました。