19世紀後半から20世紀中ごろにかけて活躍した書家あるいは篆刻家です。浙江省の出身で号は福庵のほかに印傭や屈瓠、江民などと称していました。父親が金石の研究家であったことから、幼い頃より篆刻に優れ、そのほかにも数学や書など広い分野で才能を発揮したと言われています。
やがて24歳の時には丁仁や葉銘、呉隠らと、篆刻や古印、金石学、書画などの研究を中心とした学術団体・西泠印社を設立しました。ここでは長らく印業に尽力し、後に40歳の頃には北京の印鋳局の技術者として招かれています。また、刻印をする傍らで故宮博物院や中国画学研究会の鑑定員・顧問としても活躍し、晩年には上海中国画院の画師なども務めました。
書においては印から強く影響を受けた様が感じられ、非常に細い線でありながら変化のある書風が特徴的です。