16世紀前半から17世紀前半にかけて活躍した書家です。江蘇省の出身で号は玉遮山人と称していました。幼い頃から詩文の才能に秀でており、成長すると仕官は達成しませんでしたがその詩文の腕前を活かし、16世紀半ば過ぎまで活躍しています。当時の有名度はかなりのもので、蘇州に訪れた人はみな王穉登の下に面会に訪れるともいわれるほどでした。
15~16世紀に活躍した文徴明には強く影響を受け、亡くなった後には王穉登自身が蘇州文壇を先導したともいわれています。『南有堂詩集』や『呉郡丹青志』など多くの著書を残しました。
また、書においては6歳の頃から堪能で、楷書、行書、草書などのほか篆刻も得意としています。端正な書風が多くみられます。