19世紀半ばから20世紀初頭にかけ、実業家または書画家として活躍しました。王一亭とも称しています。
蘇省の出身で、10代の頃から金融機関で修業を積み、40代の頃には上海で地方自治事務に従事していたといいます。やがて清朝打倒を目指す政治結社『中国同盟会』に参加しましたが、革命派が敗れるとイギリスに逃れ、絵に没頭しました。
書画においては学生時代から任伯年という清末の画家について学んでおり、山水画では呉鎮という文人画家に師事しています。作品の中でも人物や仏画、花鳥画は特に優れており、晩年には日々仏画を描いていました。上海昌明芸術専科学校の校長にも任命されており、自作の絵を販売して得た利益は慈善事業に寄付していたと言われています。