20世紀に活躍していた画家です。北京の出身で、号は公煒と称していました。若い頃は北京にある中華美術学院で花鳥画を学び、21歳で同校を卒業すると、北京古物陳列所の国画研究館研究員に及第しています。清時代の画家・張大千や斉白石などの作品の研究に打ち込んだほか、同年に北平京華美術会の会員となりました。
そのほか、中央美術学院の講師や中央工芸美術学院の助教授、中国美術家協会の会員、中国画研究員第一次院務委員など、多くの要職を歴任しています。様々な地位に就く中でも自身の創作活動はやめず、48歳の時に描いた幸運と富の象徴とされている牡丹の絵は、中国切手のデザインとなりました。
精緻かつ色鮮やかな画風で、中でも花鳥画を得意としています。