18世紀に活躍した歴史家、または官僚です。江蘇省の出身で、号は秋帆や霊巌山人と呼ばれていました。30歳の時に科挙試験に合格し、臨時官として河南省や陝西省を周ったのち、湖広省の総督を任せられています。そのほか領民の混乱の鎮圧などで活躍して支持を得ましたが、やがて軍費を乱用したとされ、現職と家財を没収されました。
学問においては経学や史学、金石、地理などの諸学に通じ、著書には20年の歳月をかけて220巻編纂した歴史書、『続資治通鑑』などがあります。また、収蔵家としても知られ、多くの素晴らしい作品を収集したとともに、自身も書の作品を残しました。作品数は多くはないものの均整の取れた美しい楷書や行書を得意としており、収集した作品群からの影響もみてとれるものとなっています。