16世紀半ばから17世紀後半にかけて活躍した書家です。浙江省の出身で、号は逸峰道人や雪瓢などと称していました。33歳の時に科挙の受験資格を得ており、中央に仕える役人・吏部司務に任ぜられています。
1645年に南京が崩落すると、明王朝に忠臣として仕えていた祁豸佳の従弟・祁彪佳が自害し、祁豸佳は帰郷し、軍として浙江省に駐在しています。しかし翌年、反乱に巻き込まれて家財を失い、それからは新たな清王朝に仕えることなく親族の墓と土地を守りながら暮らしていました。
祁豸佳は絵や囲碁、賭博、蹴鞠、歌など多くの芸に通じており、隠居している間もそれらに耽っていたと言われています。これらの中でも書においては董其昌に影響を受けていると言われ、緩やかで流暢な書風が特徴的です。