16世紀前半から17世紀初頭にかけて活躍した書家です。江西省の出身で、号は石林や無功、寄々斎などと称していました。50歳の時に科挙試験に及第し、休寧県の長官や南京の監察官などを歴任しています。一方で祝世禄は、同時期に官僚または学者として活躍した耿定向より多くを学んでいましたが、耿定向に師事する者の中でも特に優秀であったために、王徳孺や潘去華と並んで「高弟」と称賛されていました。
書においては行書や草書を得意としています。当時江南の地域では菫其昌や文徴明らを代表とした優美な書体が評価されていたのに対し、祝世禄のいた江西の地域は江南から距離があったこともあり、江南とは対照的な重厚で力強い筆致で書かれた作品が多くみられるのが特徴的です。