15世紀から16世紀初めに、書家あるいは官吏として活躍しました。江蘇省の出身で、生まれつき多指症で指が6本あった為に「枝指山人」、「枝山」などと号していました。
5歳の頃から書や詞作に優れていたと言われており、やがて年を重ねると勝負事と酒を好み、多くの奇行が目立つ人物だったとされています。
書は楷書・行書・章書・草書の全てに優れており、細かいことにこだわらない快活な気性から、晩年は狂書を奔放に書いた作品を多く残しました。この祝允明の狂草は明朝第一とも称されています。
また、その優れた才能から故郷を同じくする他3名の文化人と共に、呉中の四才子とも呼ばれています。