19世紀半ばから20世紀初頭にかけて活躍した官僚です。河北省の出身で、号は匋斎と称していました。21歳の時に地方試験に受かったのちは、湖北省や江蘇省、湖南省などで各省の長官を歴任しています。また、その間には湖広省や両江省の総督も兼任し、やがて地方長官としても最高位にあたる直隷総督に任命されましたが、晩年は部下の反乱により命を落としました。
金石学者として名高かった王懿栄や呉大澂などの後進として、金石作品などの収蔵に尽力した端方は、優れた鑑定士を囲い清王朝においても圧倒的な規模の収集家となっています。また書においては王義之などからなる帖学と基本に根差した書風に学び、行書を得意としました。