16世紀後半から17世紀の初頭にかけて活躍した書画家です。陝西省の出身で、号は石隠や友石などと称していました。25歳のときに科挙試験に及第し官職に就きましたが、当時権力を振るっていた宦官を弾劾したため、一時は官籍を失っています。のちに崇禎帝が即位したときに復官しました。
絵においては元時代の画家・王蒙や北宋時代の画家・范寛の作品から学んでいたとされ、米万鍾独自の画風を確立しています。中でも花卉画や山水画で優れた作品を多く生み出しました。
また、書においてはややふくらみのある書風が特徴的で、同時代に活躍した文人書画家・董其昌と並び『南董・北米』と称されています。そのほか邢侗と張瑞図を加えて『邢・張・米・董』とも呼ばれ人気を博しました。