18世紀後半から19世紀半ばにかけて活躍した書家です。山東省の出身で、号は舜堂と称しています。46歳の時に科挙試験を通過し、仕官したのちは最高学府である国子監の助教を務めました。学問は、学者であり県知事も務めた桂馥に師事し、そのほか金石学にも通じていたため『隷篇』などの書も残しています。これは漢碑に重きをおいた隷書による碑刻の作品を、丁寧に収集し字書化したもので、それまでのものとは異なり、部首による配列で字例を原刻と同じ双鉤書法で記していった点が先駆的で注目されました。
書においてはその研究の影響もあり、隷書を得意としています。