19世紀に活躍した書画家です。安徽省の出身で、号は石生と称していました。34歳の時に科挙試験の受験資格を獲得し、法案の文章作成などに携わる中書を経て、のちに地方行政を司る戸部郎中として仕えています。
若い頃に両親を失った胡澍は科挙試験のための受験勉強に励み、そこで自身と同じく繆梓に師事していた趙之謙に出会いました。やがて2人は上京して試験に挑み、共に及第には至りませんでしたが、北京で当時名の知れていた金石の愛好者たちと信仰を深めたことは、その作品に大きな影響を及ぼすこととなっています。
書においては篆書を得意としており、穏やかさの中にも厳正さのある書風が特徴的とされています。