20世紀に小説家、または評論家などとして活躍しました。浙江省の出身で医者の父を持ち、本名は沈徳鴻といいます。
幼少期から私塾で教育を受け進学しましたが、10歳で父を失い、進学した北京大学を3年で退学しました。やがて上海の出版社に入社し、雑誌の記事の執筆に従事しています。その後近代文学運動への参加や、新聞の文芸欄の編集などに携わると、本格的に文学に専念するようになりました。
執筆活動中には日本やソ連などに訪れており、特に日本には1年以上滞在したため評論、小説など多くの作品を残しています。1940年代に中国へ帰国した後も執筆は続き、中華人民共和国の成立と共に文化部部長に就任しました。
中国作家協会の主席なども務め、1981年の死後は「茅盾文学賞」が設置されるなど現在でも広く親しまれています。