東洋骨董大辞典

  • TOP
  • 東洋骨董大辞典

趙孟頫(ちょうもうふ)

13世紀半ばから14世紀前半まで、宋代末期から元の初頭にかけて書画家や政治家として活躍しました。浙江省湖州市呉興区の出身。号は水晶宮道人や松雪道人、鷗波道人などがあります。画家の趙孟堅は従兄弟にあたります。

 

当初は南宋に仕えた地方官人でしたが、宋が滅亡したことによりその職を離れました。その後、元の始皇帝フビライハーンに仕えましたが、宋を滅ぼした始皇帝の下に仕えたことが趙の一族の反感を買い、それが原因となり縁を切った一族も少なからずいたと言われています。中華思想が基盤となる中国ではこのような孟頫の振る舞いは批判を受けやすく、その後の評価は奮いませんでした。

 

画風は文人画の復興を行い、書画は4世紀に多芸な書で活躍した王羲之や、その弟子の王献之などを学び、宋代の書とは趣の違った作品を後世に残しています。69歳で生涯を終えたのち、死後に生前の評価に基づいて名づけられる諡号(しごう)は文敏と称されています。

 

 

買取に関するお問い合わせ

ご相談やご質問など、まずはフリーダイヤルでお気軽にお電話くださいませ。
  • お電話でのお問い合わせはこちら tel:0120-424-030
  • メールでのお問い合わせ