20世紀初頭からから20世紀末期まで、近代中国画家として活躍しました。広東省の出身で美術学校教師等の教育者としての顔もありました。広東地方で勃興した中国近代絵画の嶺南派の中心を担う第二世代で、46才の時には東京で個展も開いています。
同時期に活躍した楊善深、黎雄才、関山月を含めた4人は「嶺南四家」と呼ばれ、嶺南派では重要な位置づけとされています。この嶺南派は花卉画が多く、「撞粉」や「撞水」といった絶妙なにじみや、対象を色鮮やかに捉えて色の変化を起こす独特の技法を用います。少昂もこの技法を継承し、「枝头小鸟惊初雪」「一池杨柳垂新绿」「木棉红占岭南春」など大胆かつ繊細な名画を残しています。