東洋骨董大辞典

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逸然性融(いつねんしょうゆう)

17世紀初頭から半ばにかけて活躍した僧です。浙江省の出身で、号は煙霞道人や煙霞比丘、浪雲庵王などと称していました。40代中ごろ、明時代末期の混乱を避けて日本に移り、長崎の興福寺にて生活しています。ここには1632年に中国から来日した僧・黙子如定がおり、逸然性融もその許で出家すると、翌年には住持となりました。

 

やがて1652年頃からは、後に日本で黄檗宗の祖となった中国の禅僧・隠元隆琦の招致に尽力しています。約2年にわたって書状を送り続け、隠元隆琦の来日を実現させた後は一時住持職を隠元隆琦に任せ、日本での黄檗宗の振興を目指して奔走しました。隠元隆琦が興福寺を去った後は再び住持となり、翌年には隠退しています。以降、晩年は興福寺の門前に建てた桃林庵にて過ごしました。

 

そのほか逸然性融は絵の才能に長けていたことでも知られており、北宋画風の漢画『長崎漢画』の祖としても知られています。題材には神仙をはじめとして達磨や羅漢などを多く取り上げ、道釈人物画を得意としました。門弟には長崎で活躍した日本人画家、渡辺秀石や河村若芝がいます。

 

 

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