18世紀後半から19世紀半ばにかけて活躍した書家です。浙江省の出身で、号は退叟と称していました。年若い頃から仏門に入り、中国各地の有名な寺を遊歴し、のちに浙江省杭州の浄慈寺で住職となっています。
また、達受は僧侶としての経験と共に研究に打ち込んだ金石学においても名を挙げており、多くの作品の編纂を手掛けた阮元はその腕に感服し、達受を「金石僧」と呼んだと伝えられています。各地を巡る最中には必ずその地の金石を探して知識を深め、何紹基や戴熙など当時の文人たちとも交友しました。そのほか古銅器の採拓に際しては全体像を立体的に写す方法を開発して名を広めています。
書においては篆書や隷書を得意としていましたが、現代にまでのこる作品は多くはありません。