16世紀中頃から17世紀前半にかけて活躍した文人です。山東省の出身で、号は来禽館生と称していました。裕福な家庭に生まれ、24歳のときに科挙試験に及第すると官僚となりましたが、30代半ばのときに辞職して帰郷したと言われています。その後は郷里に来禽館を築いて詩文書画に没頭しながら、文人たちと交流しました。
生家が裕福で多数の作品を持っていたため、邢侗は幼い頃からそれらの作品を見て研究を重ね、中でも最も優れていたのは書であったといいます。行書や草書の作品が多く、素早い筆さばきと淀みの無い書体が特徴的です。同時期に活躍した書家の董其昌や張瑞図、米萬鐘などと並んで「明末四大書家」、「邢張董米」として称えられたほか、董其昌とあわせて「北邢南董」とも称されるなど、多くの名で知られました。
絵においては精妙な筆致で描く観音像を得意としており、竹石や山水画なども多く描いています。
そのほか、邢侗の妹である慈静も詩文や書画に優れていたといわれています。