20世紀の前半に詩人、または小説家として活躍しました。浙江省の出身で本名は郁文(いくぶん)と言います。
高学歴な家系に生まれましたが幼少期に父を亡くしており、貧しい生活を送りました。しかし、10代になる前から塾で才能を発揮し、小学・中学と進学したのち、17歳の時には日本に留学し東京大学の経済学部に入学しています。この頃から小説の執筆を始めており、日本人女性に恋した自身の体験を綴った短編小説集『沈淪』は日本の文壇に大きな影響を与えました。
帰国後は、専門学校や大学の講師などを務めましたがどれも長くは続かず、小説や散文の執筆活動や雑誌の編集なども行いました。日中戦争時代には救国運動に専念しており、シンガポールを経てスマトラに滞在中に、日本兵によって殺害されたと言われています。