東洋骨董大辞典

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鄭成功(ていせいこう)

17世紀前半から中頃まで軍人、または政治家として活躍しました。福建省の出身で、母が日本人であったため、「福松」という日本名(幼名)も持っています。

 

父の鄭芝龍が平戸藩主に招かれ日本に住んだ際に、田川マツと出会い、鄭成功が生まれました。7歳までは日本で過ごしましたがその後中国の福建省に移住しています。20歳のときに明が滅んだ後は、父の紹介で当時の皇帝・隆武帝に謁見する機会を得て、容姿に恵まれていたため気に入られ、国姓であった「朱」を授かりました。この際に謙遜して朱姓を使わなかったため、やがて人々から「国姓爺」と呼ばれるようになります。まもなくして隆武帝は殺され、明を見限った父とは今生の別れをつげましたが、鄭成功は「反清復明」を掲げ、明の擁護運動を続けました。

 

その後は北伐軍を築きましたが大敗し、勢力建て直しのために台湾に訪れています。当時台湾はオランダ東インド会社に統治されていましたが、鄭成功はこれを打ち払い鄭氏政権を樹立し、のちには台湾独自の政権を打ちたてました。このため台湾では孫文や蒋介石と並び「三人の国神」と称されています。

 

 

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