19世紀に活躍した篆刻家あるいは書家です。浙江省の出身で、号は袖海や井罍山民、金罍道人と称していました。生涯仕官せず、自身の作品である刻印や書を販売して生計を立てました。
篆刻は文字と輪郭を浮き彫りにする「陽刻(朱文)」をよくしています。その作品はかなり装飾性の高い作品が多いという評価もされていますが、任頤など清末の画家らの印を制作しました。
書においては篆書や隷書を得意としており、日本から中国へ渡った書家の秋山白巌や、篆刻家の円山大迂などに師事したことで、日本国内でも除三庚の名は知られるようになりました。