19世紀に学者として活躍しました。山東省の出身で、号は海浜病史や簠斎と称しています。幼少期から学問に秀で、高官として知られた父の導きで、北京にてより知識を深めると、その名は広く知られるようになりました。やがて32歳の時には科挙試験に及第し翰林院に仕えましたが、まもなく官を辞して帰郷しています。
若い頃から諸学に通じていた陳介祺は中でも金石学に陶酔し、郷里では隠棲しながらその研究と収蔵に力を費やしました。収集活動を行う中では呉雲や呉大澂など著名な収集家との交流も深め、広範囲にわたった収蔵品の中では、特に青銅器の収蔵について名高かったと言われています。
書においては金文や篆書の書風から大きく影響を受けた、学識の深さの伺える書風が特徴的です。