19世紀後半から20世紀半ばにかけて活躍した政治家、または画家です。江蘇省の出身で、10代後半の頃から嶺南画派の画家に絵の指導を受けながら、国内で出版される冊子で論説を執筆していました。やがて政治結社の中国同盟会に参加するとともに、日本に留学して京都市立美術工芸学校で日本画を学び、29歳で同校を卒業すると、以降は中国で国画の教師として教壇に立っています。翌年には再び日本に亡命し、立教大学文学科を卒業しました。
美術活動と政治活動を並行して行ってきた陳樹人でしたが、30代以降は国内外で個展の開催をしながらも、それまで以上に政治活動に大きく力を入れています。国民党総務部の副部長や広東省政府委員、民政庁庁長など要職を歴任し、日中戦争時には蒋介石の抗戦体制に協力するなどしました。戦後は制憲国民大会代表や国民政府顧問を務め、65歳の時に息を引き取っています。