東洋骨董大辞典

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陳洪綬(ちんこうじゅ)

17世紀に文人、あるいは画家として活躍しました。浙江省の生まれで号は悔遅や老蓮、弗遅、老遅などと称しています。中国で地主、文人、科挙官僚を勤めていた士大夫の家系に生まれ、幼い頃から家の壁に関羽の像を描いていたというエピソードも伝えられるなど、画の才能を発揮していました。

 

ですが10代の頃に父を亡くし、相続の問題が生じて揉めると、陳洪綬は14歳にして家を出ています。その後は画を売って暮らし、当時の文人たちと仲を深めていきました。長く科挙に合格できない期間がありましたが、40代半ばの時にはその才能を認められ、画工として仕えることを命ぜられました。やがて辞職した陳洪綬は帰郷しますが、清軍の侵攻を受け郷里を再び離れたことをきっかけに、僧となったと言われています。

 

画においては「天授の才がある」と称されたほどで、北宋時代や唐時代の画家の作品から学んでいます。作品には人物や山水、動植物が描かれたものが多く、中でも独特な表現が成された人物画は特に人気を博しました。

 

 

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