東洋骨董大辞典

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陳誠(ちんせい)

19世紀末から20世紀中頃にかけて軍人または政治家として活躍しました。浙江省の出身です。陳誠は幼い頃から体が弱く、成長につれ少しずつ体力をつけるも病には悩まされ続けており、21歳のときに入学した体育専門学校もわずか1年で卒業してしまうほどでした。

 

しかしその後、秀才として知られた父・陳希文の友人であった、軍人の杜志遠と出会ったことがきっかけで保定陸軍軍官学校に入学しています。22歳で入学してからは砲兵科の学生となり、3年後に無事卒業しました。見習士官を経た後は大元帥府の警備などに当たっていましたが、沈鴻英による軍の討伐の際に負傷し、27歳からは蒋介石が校長を務める軍官学校にて教育副官を務めています。翌年から生徒たちと共に戦場に赴き砲撃を活かした攻撃で見事な指揮をとり、その後も日中戦争など多くの戦地で功績を積んでいきました。しかしその間も病には苦しめられていたと言われています。

 

やがて52歳で解任されると、まもなく蒋介石の指名により陳誠は台湾省政府主席となり、工商業、貨幣、土地などの様々な分野における整備に携わりました。その後も行政院長や中華民国副総統など要職を歴任し、68歳で息を引き取った後もその功績は評価されています。

 

 

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