中国で元時代の末から明時代の初期にかけて、学者として活躍しました。浙江省の出身で、号は南村と称しています。科挙試験に挑みましたが合格することが出来ず、任官することはありませんでした。以後は元時代末の混乱を避けて生活し、耕作の最中詩文や書をたしなんでいます。
そのほか古学の研究にも打ち込み、全30巻にも及ぶ元時代の重要な資料「輟耕録 (てつこうろく)」を記しました。これらの才能により晩年には教官となりましたが、権力者からの推挙や招聘も最期まで辞退し続けていたと言われています。
中国で元時代の末から明時代の初期にかけて、学者として活躍しました。浙江省の出身で、号は南村と称しています。科挙試験に挑みましたが合格することが出来ず、任官することはありませんでした。以後は元時代末の混乱を避けて生活し、耕作の最中詩文や書をたしなんでいます。
そのほか古学の研究にも打ち込み、全30巻にも及ぶ元時代の重要な資料「輟耕録 (てつこうろく)」を記しました。これらの才能により晩年には教官となりましたが、権力者からの推挙や招聘も最期まで辞退し続けていたと言われています。