19世紀半ばから20世紀初頭にかけて活躍した書画家です。江蘇省の出身で、号は狷盦と称していました。若い頃から絵を描くことに優れており、呉大澂に迎えられるとそのもとで腕を磨いたと言われています。
日清戦争が終結したのちは蘇州にて美術団体・怡園画集を組織し、会長は呉大澂が務めました。陸恢はそのほか一時的に上海にも留まり、海上題襟館金石書画会にも名を置いています。このような様々な芸術活動の中で陸恢は鑑定眼も磨いていき、収集家による収蔵品の鑑定も多く手がけました。
書においては隷書や楷書に優れており、隷書はためらいが無く勢いのある書風、楷書は平明で穏やかな書風が多く見られます。