19世紀半ばから20世紀初頭に活躍した画家です。浙江省の出身で号は李盦や苦李と称しています。
清時代から中華民国成立までの混乱期に生きた高邕は、金銭で職名を買う「買官」によって官位を得ており、江蘇省の市長候補になったと言われています。
文芸においては多方面で優れた才能を発揮しており、幼少期には篆刻化の銭松に師事し、20代初めには自身で制作した印でその名を広めました。また、書においては唐の書家であった李邕の作品をよく研究しており、その書を学んで苦心した経験から「苦李」の号を使用したと言われています。
ほかに黄庭堅や蘇軾からも学び、李邕の書によく似た行書を得意としました。絵は石涛などに学び、花卉画や山水画をよく描いています。