17世紀末頃から18世紀半ばに画家として活躍しました。福建省の出身で、号は癭瓢(えいひょう)と称しています。
貧しい環境に育ち、幼少期は父の書を読んで知識をつけ、成長してからは母に孝行して暮らしたと言われています。40代の頃には揚州に移り、当時の文化人であった鄭燮(ていわ)などと親睦を深めました。
絵においては同郷の画家である上官周に師事し、当初は綿密な人物画や山水画を制作しています。晩年は大胆な筆致で、仏教や道教に関連する人物を描いた「道釈画」の制作に励み、清時代の江蘇省揚州で活躍した八人の画家を指す『揚州八怪(ようしゅうはっかい)』の一人に数えられています。