18世紀中頃から19世紀初頭に活躍した書家、画家、または篆刻家です。浙江省出身で、号は詩人であった父の黄樹穀が「松石」と称したことにちなみ、自身は「小松」、「秋影庵主」などと称しました。
水利事業を司る官吏となりましたが、慌ただしい公務の中でも風雅な趣を忘れることはなく、一日も欠かさず書画に励んだと言われています。
また、石や金属に文字を記した『金石文』の収集と篆刻の作成、そして詩人であった父の影響もあり、金石学の学者、または篆刻家としても才能を発揮しました。
絵においては元末の画家、黄公望や倪瓚の作品をよく学び、淡泊かつ明白な画風を確立しています。