20世紀に活躍した画家です。広東省の出身。広州美術学院の教授や中国画学部長も務め、教育家としての顔もありました。中国美術家協会理事も兼任しています。
21才の時に広州烈風美術学校を中退後、翌22才で日本へ留学しています。留学先は東京美術学校(現東京芸術大学)で、日本画を専攻しました。
広東地方で清朝の末期に勃興した「嶺南派」を代表する画家で、同時期に活躍した楊善深、趙少昂、関山月とともに嶺南派の四大大家と言われています。山水画を得意とした雄才は日本画の画法と嶺南派の新しい技術を斬新に取り入れ、現代中国画に通じる新たな道を模索しました。2001年91才でその生涯を閉じました。