福島県会津美里町周辺で焼かれている陶磁器です。陶器も磁器もそれぞれ製造しており、美しい飴色の光沢をもつ「飴釉」を使って焼く陶器や、呉須染付と呼ばれる美しい青色の絵の具で模様を描き込んだ磁器が特徴とされています。また、会津本郷焼はニシン鉢というニシンの漬物に使う陶器の生産でも有名で、「飴釉」はこれにも用いられています。
会津本郷焼の歴史
会津本郷焼は16世紀末頃、武将の蒲生氏郷(がもううじさと)が薩摩から陶工を招き、会津の若松城の黒瓦の製造を命じたのが起源だとされています。それからしばらく経ち17世紀初頭になると、陸奥会津藩の藩主であった保科正之(ほしなまさゆき)が福島県から陶工を招き、水野源左衛門・長兵衛らによって技術が磨かれ、佐藤伊兵衛が本格的に会津本郷焼の生産を始めました。
彼らは陶器と磁器の焼成だけでなく、釉薬が用いられた瓦の開発や、新たな陶土づくりの製法を編み出し、会津本郷焼の発展に力を注いでいきます。
しかし、19世紀後半から、会津本郷焼は2度に渡り壊滅の危機にさらされました。
1度目は1868年の戊辰戦争の最中、陶工たちが戦地に赴いている間に、工場が戦火に巻き込まれ壊滅状態になってしまいます。その後陶工たちと村が一丸となって復興を遂げ、明治時代になると会津本郷焼は海外にも多く輸出されるまでに成長しました。
2度目の危機となった大正時代初期の大火事では、工場のほとんどが焼けてしまいましたが、再び会津本郷焼は復興を遂げます。
その後も技術を磨き続けた会津本郷焼は、伝統色の「飴釉」の美しさが評価され1958年のブリュッセル万博でグランプリを受賞し、1993年には国から伝統工芸品産地として認められました。
現在では釉薬の二度がけによって生み出される深い青色が特徴的な磁器の生産も人気を博しています。