高取焼は現在、福岡県の早良区や直方市で焼かれている陶器です。時代によって窯が移動したため作風が大きく異なりますが、江戸時代前期から焼かれていた作風が最も特徴的で、茶褐色の釉を全体にかけた後、乳白色の釉薬を斑に掛けてあるものが比較的多く見られます。
また釉薬の種類は、透明なふらし釉、真黒釉、高取黄釉、高宮釉、春慶釉、道化釉、と多岐に及び、釉薬の独特な組み合わせも楽しめます。
高取焼の歴史
高取焼の始まりは17世紀前後、筑前福岡藩の藩主黒田長政が、朝鮮から招いた八山という陶工に窯を開かせたのがきっかけだと言われています。
この最初の窯は直方市に築かれ、「高取焼」の名前はその土地の名前から付けられました。
高取焼は開窯後、早い時期から藩の保護を受けていましたが、窯は何カ所か場所を移動し所々で新たな窯を築いています。1614年にはより大きな登り窯の開窯と大量生産を目的とした窯を築き、1623年には八山が朝鮮への帰国を願い出ましたが受理されず、住居を改め山田窯を築きました。
その後1630年に築いた窯は茶人である小堀遠州の指導の下、7色の釉を用いた作品を発明した為「遠州高取」と呼ばれ、1665年の小石原鼓窯、1685年頃の大鋸谷窯、1716年の東皿山窯など、窯場は点々としています。
廃藩置県で藩の保護がなくなると高取焼は一時衰退しましたが、時代に沿った作品の制作で復興を果たし、現在でもその技術は受け継がれています。