和骨董大辞典

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姫谷焼(ひめたにやき、ひめややき)

姫谷焼は、広島県福山市で焼かれていた陶磁器です。伊万里焼や九谷焼と並んで色絵磁器として高い評価を得ていますが、残念ながら現在まで残る窯は存在しません。

また、歴史的にも姫谷焼は解明されている点が少なく、制作も陶器・磁器共に江戸時代初期の約20年間しか行われていなかった為、「幻の窯」とも呼ばれています。

 

 

 

姫谷焼の歴史 

 

 

姫谷焼の始まりは「京都の陶工が福山藩で技術を伝えたもの」や「九州から逃れてきたキリシタンの陶工が焼いていたもの」など諸説あるようですが、地元の郷土史には福山藩藩主の水野勝成の名が挙げられています。勝成がまだ身分の低い頃、姫谷の地に住んでいた陶工の家に身を寄せており、その時に制作した陶磁器が姫谷焼の前身という説です。ちなみにその後勝成が藩主となった際に、お世話になった陶工を呼び側仕えとしたため、窯が途絶えたとも言われています。

 

 

当時中国風の色絵も多く見られる中で、この姫谷焼は京風の色絵を施し、青や黒の輪郭線が施された華やかな色彩が特徴でした。また、藩の元で陶磁器制作を行った窯であった為、大衆向けの日用雑器ではなく、一点ものの茶碗などの茶道具や、贈答用の高級色絵皿が焼かれていました。

 

江戸時代初期に始まり、中期には途絶えてしまった窯であった為、現存する作品も非常に少なく、完成品はたった100点ほどだと言われていますが、福山市には姫谷焼の遺跡が残っています。

側には姫谷焼の陶工であった市右衛門の墓も確認され、2016年にはこれら姫谷焼の遺物約1700点が重要文化財に指定されました。

 

 

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