和骨董大辞典

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湖東焼(ことうやき)

滋賀県の彦根市周辺で制作されていた焼物です。最盛期には色絵や金襴手など豪華な装飾の施された磁器が製造され、その美しく白い素地と上品な装飾は、伊万里焼や景徳鎮にも劣らないと言われるほどでした。

 

 

湖東焼の歴史

 

湖東焼の始まりは江戸時代後期、彦根城下で呉服商を営んでいた絹屋半兵衛が、全国で栄えていた製陶業を彦根でも始めようと、伊万里焼の職人を招いたのがきっかけでした。協力者も得て窯を築き、「絹屋窯」を始めた半兵衛はその後、良質の陶土を求めて窯を移動したり、職人を増員したりして研究を重ねていきます。やがて地産の良質な原料の発見、そして赤絵金彩や染付などの技術が仕上がると、1842年、民窯であった絹屋窯は彦根藩14代藩主井伊直亮の下、藩直営の窯となりました。

 

琵琶湖近くの「湖東」の地名から「湖東焼」と呼ばれるようになったこの焼物は、後の15代藩主井伊直弼の時代には藩によって窯の規模が拡大され、最盛期を迎えます。その高い技術を用いて制作された茶器や食器などは、関西地方に輸出され、「湖東焼」の名前を広めていきました。

 

 

しかし、1860年、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると、地元の職人たちは不安定な情勢に怯え廃窯が続き、まもなく藩窯は途絶えてしまいます。陶工たちが離散する中で、最後まで製陶を続けた山口喜平らは、民窯としての湖東焼を1895年まで残しましたが、やはり技術は衰え、後に湖東焼は完全に断絶しました。

 

廃窯後も人気の続く湖東焼ですが、近年では滋賀大学や「湖東焼を育てる会」の尽力により、復興が進んでいます。

 

 

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