兵庫県の三田市周辺で焼かれていた陶磁器です。多種多様なシルエットと赤絵や染付の装飾などが特徴で、中でも青磁製品は特に人気があります。この青磁器は「三田青磁」と呼ばれ、専門家からは「日本で最も優れた青磁」とも言われています。
三田焼の歴史
三田焼の始まりは江戸時代中期、小西金兵衛が志手原窯(しではらがま)を築いたのがきっかけだと言われています。当初は粗い素地に白化粧をしたものが生産され、後に研究が重ねられると、内田忠兵衛の手によって徐々に青磁も作られるようになりました。
その後三田町の豪商、神田宗兵衛の援助によって、三田焼は大きな成長を遂げます。1788年に宗兵衛が窯を築き、京都から陶工の欽古堂亀祐(きんこどうかめすけ)を招いたことで、青磁や成形の技法が三田の職人に広まり、「三田青磁」が確立されたのです。
これによって三田焼は最盛期を迎え、需要と共に窯の数も増え、その名を広めていきました。
やがて三田焼は時代と共に衰退と復興を繰り返しましたが、昭和初期に最後の窯が廃窯となっています。