平清水焼は山形県山形市の平清水で製造されている陶磁器です。鉄分を多く含む陶土を活かした作品が多く、用いられる釉薬は窯によって異なります。
また、素地を作る原料は千歳山から採取するため「千歳焼」という別名もあり、その原料から陶器・磁器の両方が作られています。
平清水焼の歴史
平清水焼は江戸時代後期、地主であった丹羽治左衛門が、茨城から、陶工の小野藤次平を招いたのが始まりだと言われています。次平は千歳山の陶土を使って陶磁器を制作し、その後、相馬藩からやってきた安倍覚左エ門によって陶芸技術が発展したことで、平清水は県内でも窯業の一大地として栄えていきました。
1958年には丹羽治左衛門の流れを汲んだ青龍窯の三代目が、研究の末に独特の柔らかい青みを帯びた「梨青瓷(なしせいじ)」の技術を確立し、ブリュッセル万博でグランプリを受賞したことで、平清水焼はその名を広めていきました。
明治時代には最盛期を迎え、30を超える窯が築かれましたが、時代と共に廃窯が相次ぎ、現在残る窯では酒器や食器などが制作され、作品の伝統が受け継がれています。