湖南焼は江戸時代後期に、滋賀県の大津市周辺で制作されていた陶磁器です。
京都の陶工永樂保全が地元を離れて活動した際、滋賀県の寺院円満院の覚諄入道親王の支援を受け、窯を築いたのが湖南焼の始まりだと言われています。江戸時代の3年ほどの短い間だけ制作された陶磁器だということもあり、明確な窯跡は発見されていません。未解明な部分の多い焼物ではありますが、名作が残されたことでその名が知られています。
保全は作品の創造力にもそれが反映されるように、強い個性を持っていたといわれており、京都で息子たちと上手くいかなくなって地方を歩き、その中で湖南焼を焼いたと考えられています。
実際、湖南焼の他にも高槻焼や偕楽園焼などの指導にもあたっており、様々な地で功績を残しました。
作品は日用雑器のほかに茶器が多く見られ、保全が住居を移転した毎に、少しずつ作風に違いが見られます。
特に金彩の見事な作品が多いようですが、他にも古染付、祥瑞、赤絵、鉄釉陶器などの作品も見られ、京風の優雅で多彩な名作が多く生み出されました。